紀州漆器について
紀州漆器の歴史
紀州漆器は、和歌山県海南市の北西部「黒江地区」を中心に生産されています。会津塗(福島県)山中塗・輪島塗(石川県)などと共に日本三大漆器と称されています。
紀州漆器の歴史としては、室町時代、近江系木地師によって渋地椀が作られたのが始まりだといわれています。これに加えて、現在の岩出市にある根来寺で、僧侶達が寺用の膳・椀・盆・厨子などの什器を自ら作ったのも紀州漆器の起源の一つといえるものです。
根来寺に始まったこれら一連の塗物が、即ち「根来塗」といわれるものです。黒漆で下塗りをし、その上に朱塗を塗ったところ、未熟練の僧侶の手によって作られたものであるため、使用中自然に表面の朱塗りが磨滅して下塗りの黒漆がところどころ露出しました。それがかえって趣あるものとして喜ばれたものです。
その後、秀吉が根来を攻めたさい、難を逃れた僧が、その技術・技法をもって海南市で漆工に従事したことから広まり、徳川中期頃は、紀州藩の保護のもとに相当盛大なものだったと言われています。
文政九年(1826)、小川屋長兵衛なる工人が堅地板物の製作に成功した安政時代には蒔絵による加飾がなされるようになり、長崎や神戸の外商に直売を開始しました。
このようにして発達してきた紀州漆器も明治維新の廃藩置県により紀州藩の保護を失い衰退するかに見えました。しかし、明治3年本格的な貿易を開始したことにより次第に回復し、明治12年他県産の沈金彫の技術を導入、また明治31年には京都より蒔絵師を招へいして蒔絵の改良を図りました。
昭和にはいり、天流塗、錦光塗、シルク塗などの変り塗が考案され、紀州漆器の特長を一段と発揮しました。昭和24年重要漆工業団地として国より指定をうけ、さらに昭和53年2月通商産業省(現経済産業省)より「伝統的工芸品」として「紀州漆器」が指定されるなど、和歌山県を代表する伝統産業として益々の発展を期しています。
紀州漆器の製造工程
樹脂製品
①プレス工程
樹脂原料を金型に注入し熱と圧力で成型していきます。
②研磨工程
塗料と樹脂の密着性を高める為に樹脂の表面を研磨していきます。
③塗装工程
ウレタン塗料(食品衛生法クリアー塗料)を使用して表面を美しく仕上げていきます。
④加飾工程
塗り上がった品物に塗料と代用金粉を使用して機械にて正確に印刷を施していきます。
木製品
①木地工程
ある程度の大きさにカットした木端を水分がなくなり変形が生じなくなるまで、放置します。鋸やカンナを使って、重箱や硯箱などの指物の形を作ります。
②下地工程
木地工程での素地の形状を補修し、整備します。
③上塗り工程
下塗り・中塗り・上塗りといった工程を経てより堅牢(けん ろう)で美しく仕上げていきます。
④加飾工程
塗り上がった品物に金や色漆を使って、一つ一つ手作業にて綺麗に加飾していきます。